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solipsistic blog

世の厭わしげなる様を 憂えざるべからず

宗教と戦争、欲望と革新

 私は何かが本源的にあるのなく、その裏が存在すると考える。

 そういう意味で、宗教は神、仏を信仰するという行為だが(その行為自体は本源的とも言えるが)、その裏にも反作用的(本源的な反作用)が存在すると考える。

 掲題に関する側面で言えば「宗教は欲望を抑制している」と考える。なぜ抑制しなければいけないのか。「技術が人智を一時的に超えてしまうことが起こり得る」からであると考える。このことは近代で言えば産業革命以降、それが起こり続けていると考える。AI が暴走するなどと言われているが、すでに技術は人間が(宗教が)抑制できないほど暴走していて、それは最初、ゆっくりと進んでいて見えないかも知れないが(すでに戦争の災禍もあったが)、たとえば千年という単位で考えれば、産業革命以前の千年より、以降の千年の方が相対的には不幸な時代になるかも知れない。

 技術が人智を超えるということは「欲望に革新の美名を与える」という意味であり、美名の元に、(マルクス的に言えば)「人間が疎外されていく」ということになる。

 唯物主義者がそれを社会主義なり共産主義でとめるしかないと考えたように、私はむしろ宗教のカムバックを考える。

 哲学や経済学を持ち出さなくても、人間は本能的にそれを感じるとることができるように思う。